2010年9月26日日曜日

海潮地区出身戦没者追悼式



 毎年9月23日海潮地区で開催される海潮地区出身戦没者追悼式が、今年も23日海潮交流センターに関係者66名が参列し開催されました。
 追悼式では、先の大戦で若くして戦死された海潮地区出身の108柱に黙とうをささげ、続いて、主催者の海潮地区振興会宮川昇会長が追悼の辞を述べ、来賓献花・ご遺族献花があり、来賓代表の細田実市議会議員のあいさつ、中西弘明遺族会会長のあいさつと続きました。
最後にご和讃のテープが流れ閉式となりました。
 

2010年9月22日水曜日

写真広告月刊誌「旅」の11月号で海潮神楽紹介





 海潮地区で行われた夜神楽大会の模様が、写真広告月刊誌「旅」11月号で「子供だって熱くなる、夜神楽の魅力とは!」「出雲でも有数の神楽の伝承地である雲南市大東町。子供たちから愛される夜神楽大会を訪ねて」の見出しで紹介されています。
 伊勢神宮と出雲大社を対象しながら、その地の情報を載せた特集です。




2010年9月21日火曜日

うしおっ子田圃の稲刈り






















 うしおっ子田圃の稲刈りが9月21日(火)大東町南村の高橋昭夫さんの田圃で行われました。

この日は、海潮小学校5年生18名が参加し、うしおっ子田圃の委員の指導を受けながら、ヨリない、刈り取り、稲ハデに掛ける作業を進めました。

 始めは、不慣れだった子供たちも次第に要領よく作業ができるようになり、午前中で予定通りの刈り取り作業を終了しました。

 尚、この田圃の田植えはこの春5年生が田植えをしたもので、年末までにこのお米を使ってカレーライス作りなど収穫祭が行われます。

 このうしおっ子田圃は、今年が19年目です。農業について少しでもこの機会に考えてみてください。

 

大東小学校4年生うしお郷土館の見学






        見学後質問をする4年生



           うしお郷土館前に整列



      全員一緒に見学・説明を聞きました





     見学を終えてバス2台に分乗し帰途へ


 9月21日(火)大東小学校4年生48名が、海潮交流センターのうしお郷土館見学に来訪。

うしお郷土館では山根寿宣交流センター長の説明を聞きました。見学後は交流センターの保育室で、「一番古い展示品はどの時代のものですか」「自分の家にも資料館にないものがある」「蚕はどこで飼っていたのですか」「全部で何点ありますか」など、質問や感想が述べられていました。

 見学と研修終了後は、バス2台に分乗して海潮交流センターを後にしました。

 ややもすると忘れ去られる古民具などですが、その時代には生活に欠かせなかったものばかりです。研究を進めてみてください。

2010年9月16日木曜日

よいとこまつり打合せ女性部長会開きました




 9月14日夜、海潮交流センターに於いて女性部長会(神庭富子部長)を開催しました。
この日の主な協議事項は、大東よいとこまつりの出店についてでした。
今年の海潮地区テントは、「山王寺棚田舞3色餅」を中心メニューとして取組むことになりました。
また初日は、うしお料理クラブによる「山王寺棚田舞ぜんざい」食堂が計画されています。
南村産の「糸瓜」粕漬も販売することなどを決め打合せをしました。
この日の会合には、交流センターからセンター長・主事が出席しました。

2010年9月12日日曜日

海潮中学校体育祭 一致団結


           選手宣誓


           開会式

            入場行進


        全員リレー



          綱引き

 一致団結  心の絆を信じて をスローガンに、海潮中学校体育祭が9月11日(土)に開催されました。9時15分、工夫を凝らした入場行進によって始りました。入場行進については宮川昇海潮地区振興会長ら来賓もその審査にあたりました。
 競技は、ちょっとハイジャックで始まり、お昼前には銭太鼓、午後は応援合戦から開始、全員リレー、閉会式で終了しました。残暑のなか全員協力、思い出に残る体育祭となったようです。

2010年9月9日木曜日

やねだん豊重哲郎さん講演会に参加して





 昨晩9月8日は、木次町チェリヴァホールでのまちづくり講演会に海潮交流センター事務所から5名参加しまし、鹿児島県鹿屋市串良町柳谷自治公民館長の豊重哲郎氏による「やる気を起こせば必ず奇跡は起きる」を拝聴しました。
 やねだんのキーワードが感動と感謝。負の項目を感動に変えてゆくこと。リーダーは自己満足ではダメ、黒子に徹せよ。笑顔とフルネームで。地域づくりは全員がレギラー。ブランド化を必ず。----など参考となりました。
それにしても、地域づくりのストーリーと着眼がすごいと思いました。そして、そこには人口が増加に転ずる結果がついてきていました。