牛尾氏の菩提寺弘安寺
戦国の武将尼子、その尼子十旗の一人「牛尾」を訪ね海潮の郷を時々訪ねてこられる人があります。
11月4日交流センターへ出掛けと、電話が鳴り出てみと、海潮温泉旅館からで、「お客様が三笠城跡の案内を求められているので、対応をお願いしたい。」旨の内容でした。
昨日は大出日山登山に参加、今日また三笠山に登ることになりました。
続いての山登り不安もありましたが、ご案内するお客様はすでに交流センターに到着。
急きょ南村の持田郁さんにもお願いしました。
牛尾氏のルーツを訪ねてのお客様。先ずは弘安寺の牛尾氏墓所・位牌堂にご案内。
ご住職の説明の後、海潮神社、そして三笠城跡(302m)へと案内しました。
登り初めて間もなく奥さまはリタイア。あとの3名で登っていると、5合目あたりで人の話す声が聞こえ、上から下りてくる人がありました。そういえば登山口に九州ナンバーの車があり、もしやと思いましたが、図星でした。その人達も牛尾のルーツを探し九州から訪ねてきたと言われました。
写真を写させてもらいました。狭い登山路で奈良県の潮(うしお)様と福岡県の牛尾様夫妻との記念撮影となりました。本当に不思議な気がしました。名刺を戴いて九州の牛尾さん夫妻とはお別れし、また3名で急峻な道を登り始めました。それでも地元の人たちが毎年草刈りをし守っておられ、道筋は良好で、感謝しながら進みました。
写真を写させてもらいました。狭い登山路で奈良県の潮(うしお)様と福岡県の牛尾様夫妻との記念撮影となりました。本当に不思議な気がしました。名刺を戴いて九州の牛尾さん夫妻とはお別れし、また3名で急峻な道を登り始めました。それでも地元の人たちが毎年草刈りをし守っておられ、道筋は良好で、感謝しながら進みました。
約30分程度で馬場へ、そしもう一段高い所 謂本丸跡へ登頂出来ました。
頂上は広く、数年前より南村自治会が大東町より払い下げを受け管理されていとのことです。
降りる時は、石塁の確認、井戸へも足をのばしました。
ご案内しながら、戦国の世で約180年間もこの地を治めて来た「牛尾」について勉強の機会を設ける事の必要性を強く感じながら下山したところです。
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