2011年2月28日月曜日
歩道橋工事が進んでいます
2011年2月22日火曜日
海潮地区振興会だより第13号
2011年2月17日木曜日
エグナーエリカさん歓迎交流会
あいさつ中のエグナーさん
歓迎あいさつ海潮地区振興会長宮川昇さん
横手茶屋のご馳走
みんなで乾杯
ホストファミリー北村の黒川朋紀さん
にぎやかに歓談できました
アメリカの早稲田大学留学生エグナーエリカさんを迎えての海潮地区での歓迎交流会が、2月16日午後、大東町薦沢の横手茶屋(渡辺農園)でありました。
国際文化交流協会海潮支部(錦織義泰支部長)が主催したもので、エ留学生のエリカさんはホストファミリー北村の黒川朋紀さんや、友人のエリザベスさん(阿用の浜田さん宅にホームスティ―)と一緒に参加、海潮地区からも振興会の役員や国際文化交流協会員が参加し、にぎやかに交流しました。
今年の海潮は降雪が続いていますが、エリザベスさんはミシガン州の出身で、寒さや雪は苦にならないとのことでした。日本に来て約2年半、日本語も上手に何でも会話できますが、出雲弁で調子よく語ると解りにくいようでした。
2011年2月16日水曜日
2011年2月15日火曜日
雪の中でもお湯が立ち上っています
海潮温泉のお観音様
周りは雪でもお観音様の周りは湯気が立ち上っています
余ったお湯を多くの方が汲みに来られます
湧き出る温泉の横に観音像が立っています。観音像と海潮温泉の謂れについて紹介します。
戦前に海潮温泉が、狩野蔵次郎氏(海潮荘の先代)によって開発された折、霊泉山に多くの石仏がまつられ、その頂上に彫刻家の内藤伸氏作の等身大の観音像が立てられていました。
蔵次郎氏は、製塩業を営んだ実業家であったようですが、海潮温泉のお湯の物理的効能と、裏山の霊泉山に散策コースを設け、石仏などをまつり、東屋を建て心身の癒し効果と併せた開発を目指した人でした。戦後の昭和20年代中頃までは小学校の遠足は必ず霊泉山に行きました。
その観音像については、戦争が進む中で金属類は鉄砲や大砲を作るため、供出させられる不幸な時代にさしかかり、霊泉山の観音像も山から下ろされ出荷されていったといいます。その夜は、すごい雷雨だったと伝えられています。
近年、温泉の山根進様より、その観音像が立てられ供養された時の記念写真の存在がわかりました。佐々木茂福先生によって調査が行われています。
(写真は別途紹介します)
2011年2月14日月曜日
2011年2月13日日曜日
2011年2月9日水曜日
2月9日海潮の教育を語る会
20名が参加し開催されました
最初に海潮地区振興会の宮川会長があいさつ
2月9日(水)の18時30分より海潮交流センターで、「平成22年度第2回海潮中学校区地域教育協議会」、通称「海潮の教育を語る会」が開催されました。
この日は、地区振興会や市議会議員・交流センター・民生児童委員・学校・PTA・学校関係のコーディネーター等20名が集まりました。
大谷美里教育支援コーディネーターの進行で、冒頭に宮川振興会長のあいさつ、海潮中学校区学校支援地域本部事業の報告、地域コーディネーターの取組み報告を受け意見交換を行いました。
多くの意見が出されましたが、この支援制度が導入されて3年間、地域と学校の距離が近くなったことは間違いありません。それは、「手伝いあれば言ってください」との空気が生まれたことです。
問題は、この制度がなくなった後をどうするか、地域にとっても、学校現場にとっても、雲南市にとっても極めて重要な課題だと感じました。
海潮幼稚園と中学校結ぶ避難用歩道橋着工
2011年2月6日日曜日
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